2022年01月04日 更新

不妊治療「保険適用化」で思う事。

来年4月に不妊治療が「保険適用」になります。

 

と言っても、これまでも既に一部は「保険適用」でしたが、その適用範囲が大幅に広げられる予定です。

 

この変更は2020年9月の菅前首相の「鶴の一声(ひとこえ)」で始まりました。(と、私は認識しています。)

 

今回の変更の主なものは、「体外受精」についてです。

 

これまで「体外受精」は「保険適用外」=「自費診療」の治療とされ、患者さんが高額な治療費を100%負担し、その代りに行政(各地方自治体)が「助成金」(2004年~開始)を支給して患者負担を軽減する形で行われてきました。

それが今回、「体外受精」が「保険適用」の治療となり、「助成金」は全て廃止されます。

 

「保険適用」となれば、みんなが治療を受けやすくなって、一見とてもよいことのように映ると思いますが、様々な問題、課題を抱えています。

 

その理由は、3つあります。

 

一つ目は、「体外受精」のバリエーションの多さです。

 

このまま「体外受精」が「保険適用」となれば、これまでの「自費診療」で各医療機関で様々な方法で行われていたことが「標準化」され、「標準」以外の治療は一切行えなくなります。もし「標準」以外の治療を行えば、保険診療と自費診療の併用、つまり「混合診療」となり、「保険診療」で行なった部分も「自費診療」として扱わなければならなくなります。

 

ではなぜ「体外受精」にはそんなにバリエーションが多いのか?

 

それは、「生命の始まり」は未解明な部分が多く、また、個人差も大きく、我々人類の力がまだまだ及ばない領域であることを意味しています。我々が解明できていることはほんの一部、「氷山の一角」に過ぎず、そんな中、多くの人々がこれまで様々な努力を積み重ね、今日の「体外受精」を築いてきました。つまり、まだまだ「発展途上」、「未確立」の治療と言えます。

 

私の個人的な考えですが、「体外受精」は「農業」と少し似ている部分があると思います。

 

英語で「生殖医療」=「Reproduction」、「農業生産」=「Agricultural production」です。

「生み出す」点で共通する部分があります。

 

「体外受精」は、

卵子を育て、体外へ採り出し(採卵)、精子を採取(採精)し、お互いを出会わせて受精させ、育て(培養)、子宮に入れて(胚移植)、着床させる

 

「農業」は、

土を耕し、種を撒き、水や肥料を与え、時間をかけて育て、収穫する

 

言葉にすれば簡単ですが、

「土」には様々な「土」があり(酸性、アルカリ性、水はけなど)、気候や風土で大きく異なっています。

「種」にも種類によって様々な特徴があり、当然、撒く時期やタイミングはそれぞれ異なります。

肥料も窒素・リン酸・カリの割合は様々で、それぞれの農作物に応じた割合の肥料でなければ上手く育ちませんし、肥料を与える時期も個々で異なり、とても重要です。

収穫の方法や時期も様々で、それを間違えれば、それまでの苦労も水の泡です。

 

つまり、ただ一律に「土を耕し」、「種を撒き」、「水や肥料を与え」、「時間をかけて育て」れば「収穫」ができるわけでは決してなく、様々なバリエーションの中から、農家の方々が個々の作物に応じて、それぞれの場所の気候や風土に合わせて「農業」を実施されて初めて、よい収穫が得られているわけです。前回のブログで書いた「マルチ」もその一つで、ちょっとした工夫、手間で、「結果=収穫」が大きく変わってきます。すなわち、農業全てを「標準化」することは不可能です。

 

「体外受精」も、

複数の卵子を得る為に「卵巣刺激」を行いますが、その方法には10種類以上あり、個々の患者さんの状態に応じて選択する必要があり、「卵巣刺激」中のモニタリングも個々で様々です。

 

次に、卵子が得られたら精子と出会わせて「受精」させますが、自己の力だけでは受精出来ない場合は、顕微鏡下に慎重に精子を卵子内に注入(顕微授精)する必要があり、卵子や精子の状態に応じていくつか顕微授精の方法があります。受精しても「活性化」が起こらず発育できない場合もあり、その場合は人為的に「活性化」を促す必要があります。

 

受精卵(胚)を育てる(「培養」)方法も、培養器、培養液は何種類もあり、個々の状態に応じて選択する必要があり、選択を間違えれば上手く発育しません。「培養液」は毎年のように新しく開発、発売されており、まさに日進月歩の状態です。

 

「胚移植」も患者さんの状態に応じて、子宮内膜の状態を様々な方法で整えてから行う必要があり、着床する為には胚が「孵化」しなければならないのですが、それが上手く出来ない場合もあり、その場合は「孵化」を補助する技術を用いる必要があります。

 

つまり、ただ一律に「卵子を育て」、「卵子と精子を受精させ」、「育て」、「胚移植」すれば「児が得られる」わけでは決してなく、様々なバリエーションの中から、我々生殖医療に携わるエキスパートが個々の患者さんの状況に応じて選択、工夫をしていくことで、初めてよい「結果」が得られるのです。

 

今回の「体外受精の保険適用化」はこれらを「標準化」してしまうことになり、「個々の患者さんの状態に応じて」ではなく、ほぼ「一律」に行うことになります。もちろん「農業」でもそうなように、「一律」に行ってもある程度の「結果」(「農業」の場合は収穫、「体外受精」であれば生児獲得)は得られます。しかし、よりよい「結果」の為には様々なバリエーションの中から適切な方法を選択して実施して行くことがとても重要であり、不可欠です。

 

今回の「体外受精の保険適用化」を我々国民にとって有益なものとするには、「体外受精」がバリエーションが多い上で成り立っている、まだまだ発展途上の治療であることを十分理解、認識し、それを踏まえた制度設計をすることがとても重要だと思います。その為には、じっくり時間をかけて十分な検討を行い、慎重に準備を進めて行く必要があると思いますが、政治家の「鶴の一声(ひとこえ)」で「2022年4月から」と期限が先に決まった上で今回の「保険適用化」は進められており、とても残念でなりません。このままでは、国民の不利益を招く結果となりかねません。

 

二つ目は、「資格、認定、認可」の危うさです。

 

「体外受精とは?」を一言で答えるならば「体内にある卵管の代わりを体外で行うこと」です。つまり、体内で行われる妊娠成立の過程の一部を「体外」で行うのが「体外受精」です。似た例に、新型コロナウイルス感染が重症化した際に行われる「ECMO(体外式膜型人工肺)」があります。ECMOは、人の肺で行われる呼吸を体外で代わりに行います。「ECMO」の場合、既に皆さんもニュースなどでよくご存知かも知れませんが、それを行うには、ECMOに精通した看護師、医師が数名必要と言われています。つまり、人体の機能を一部だけでも代用するには、多くの人手や、豊富な知識、精密な機器が必要となります。

 

では「体外受精」はどうでしょうか?

 

「体外受精」の場合、「培養室」と言う清潔な空間内で、卵管内と同じような環境を精密な機器である培養器と培養液で作り出し、それらを用いて様々な作業を行うのは「胚培養士(エンブリオロジスト)」と呼ばれる人たちです。「胚培養士」、あまり聞きなれない言葉かも知れませんが、「体外受精」においてとても重要な存在です。Wikipediaによると、「胚培養士は大学病院や産婦人科の医師の指導の下で顕微授精や体外受精などの生殖補助医療を行うことを業務とする医療技術者。資格は日本哺乳動物卵子学会により認定され、5年毎に更新の審査を受ける。不妊治療を専門とする医療機関に勤める医療系の国家資格保有者が受験することが多いが、看護師などは少数で、生物学、細胞病理学に精通している細胞検査士を含む臨床検査技師や衛星検査技師などがこの認定を受け活躍している者が多い」とあります。つまり、「胚培養士」を養成する専門の機関は日本にはほぼ存在せず、主に農学系の大学を卒業した人が、全国の「体外受精」を行っている医療機関に就職後、その医療機関で一からヒトの胚の培養や卵子、精子、胚の凍結、顕微授精等を学び、修得し、実際の「体外受精」に従事しています。つまり、当院のような「体外受精」を行っている医療機関では、患者さんの治療を行っているだけではなく、「胚培養士」を育成するという業務も合わせて行っているのです。Wikipediaには「資格は日本哺乳動物卵子学会により認定」とありますが、これは国家資格ではなく、一学会が私的に認定しているに過ぎず、また、実際には日本哺乳動物卵子学会による認定を受けずに「胚培養士」として「体外受精」に従事している人たちも多くいます。以前から、「胚培養士を国家資格に!」と言われて来ましたが、未だ実現には至っておらず、ある意味「培養室」は「無法地帯」として放置されています。胚培養士を国家資格とするためには、先ずは国が「教育制度、養成制度」を整える必要があると思いますが、様々な理由から、必要性を理解した上で「先送り」されてきたのだと私は認識しています。

 

培養器、培養液についても同様で、現在日本の「体外受精」で使用されている培養器、培養液、その全てが医療機器、医療用として「認定、認可」をされておらず、あくまでも「研究用」とされているものです。しかし、それらが実際のヒトの「体外受精」で使用されています。

 

ある人はこの状態を「パンドラの箱」と呼んでいます。

 

日本の「体外受精」は40年以上の歴史があり、今日まで多くの人たちの希望を叶えてきました。しかし、その背景にはこのような「触れられると困る」状態を放置し、「先送り」してきてしまった現状があります。

 

私は今回の「体外受精保険適用化」を機に、この問題から目をそらすことをやめ、正面から取り組むべきだと思います。しかし、そのためには時間が必要であり、先程の「バリエーションへの対応」と同様に、「2022年4月まで」と言う「時間の縛り」が最優先され、その結果またこの問題は「先送り」となり、「パンドラの箱」のままになるのではないかと強く危惧しています。

 

これに関する厚労省の見解は、私の知る限りではまだ示されていません。噂の範囲ですが、「卵子、精子は患者さんから採り出され、人体とは離れた状態となり、それらに加わる様々な行為は、いわゆる医療行為、つまり人体に直接及ぶ行為ではないので、それらを扱う人員やそれらに用いる培養器、培養液に関して、医療従事者としての資格や医療機器の認定等は必要としない」と考えているようです。もしそうであれば、これぞまさに「詭弁」としか思えません。

 

三つ目は、不妊治療は「時間との闘い」だからです。

 

既によく知られていることですが、「妊娠」には女性の年齢がとても大きく影響しています。「体外受精」を用いた治療を行っても、35歳を過ぎると年々、妊娠できる確率は低下し、40歳を超えると1周期当たりの妊娠率は10%以下となり、45歳を超えると児を得られる確率はほぼ0になります。

 

つまり、妊娠を望む女性にとって「時間」の要素はとても大きなものです。しかし「保険適用」となるには、その治療がこれでに十分なエビデンスを基に、有効性、安全性が確認できていることが基本的な条件としてあり、「十分なエビデンス」を得るにはかなりの「時間」を要します。今後、日進月歩の発展中の「体外受精」において、新しい薬や技術が開発された際に「十分なエビデンス」が得られていないことを理由になかなか「保険適用」として認められず、使用や実施ができない可能性があり、とても心配です。

 

今回の「不妊治療保険適用化」は、「体外受精が十分なエビデンスの基に、有効性、安全性が確認できたから」と言うよりは、「少子化対策」の一つとして、「政治的パフォーマンス」の一環で登場してきたように思います。事実、諸外国の例を見ても、「体外受精」を保険適用化することで「少子化対策」にはなっていません。

 

私は決して「不妊治療の保険適用化」に反対しているわけではありません。確かに、日本においても40年に亘って行われており、様々なエビデンスも積み重ねられ、「体外受精」も一部においては保険適用とするに十分な治療であると言えます。しかし、先程も書いたように、この分野は日進月歩、発展途上であり、基本的な部分を「保険適用」とし、「自費診療」も合わせて行える制度(混合診療)にするのが最もよい方法だと思います。現にお隣の国、韓国ではそのような方法で「体外受精」が行われており、大きな成果を挙げています。

 

では、なぜ日本では「混合診療」が出来ないのでしょうか?

 

正直、これは私にとって「謎」です。

 

多分、建前としては、「効果があるか無いかもわからん治療をするのはけしからん。もしそれをやりたいなら、保険は一切使わせない!」ってことで、実際は、内科の医師が主体となっている「日本医師会」の既得権益を守る為ではないかと私は勝手に思っています。

 

日本は戦後、様々な分野で大きな発展を遂げて来ましたが、今回の「コロナ禍」でも感じたことですが、こと「政治」においてはまだまだ「未熟」な国だと感じます。

 

今回の件で、厚労省の方たちとお話する機会がありますが、その働きには本当に頭が下がる思いです。こんなにも国のため、国民のためにと思って頑張ってくれている方々がいるのに、どうして?と思わざるをえません。今の日本の政治家の多くは、「国民の顔色」は見ていますが、本当の意味での「日本の将来」を見ていないと思います。

 

今日の「日本の政治」を招いたのは、我々日本国民に他なりません。

 

今回の「不妊治療保険適用化」を機に、「政治」が我々の日々の生活、人生、将来にとてつもなく大きな影響を及ぼしていること、そして今から自分にできることは何があるのか、多くを考えさせられている今日この頃です。